ちゃんと今日も目が覚めたのは 君と笑うためなんだよ
読み終わりました!
長いようであっという間のようで長かった館シリーズ7作目です。
文庫で4冊という超ページ数、『人形館』を連想させるような「私」という語り手のしつこいくらいの内面描写、オカルト趣味、人魚から吸血鬼にヴィネツィアまで広げに広げまくった話題、相変わらずこちらを騙してくれる叙述トリック、そして第五部ラストのあの衝撃によってシリーズ第一作目の『十角館』を読み返さずにはいられなくなる。これぞ大作、そして名作です。
単発として出されていたらあるいはいろいろいちゃもんなど付けたくなっていたかもしれませんが、これまでの館シリーズを総決算し、全ての根幹を成すような位置づけにあるものですから、少々の不備なんて問題になりません。ここまで読んできたものには相当の感慨があるのです。読了後のカタストロフィと寂寥感はここ最近で一番でした。まさに終わりであり始まりの物語ですね。
以下、特にネタバレはしていないつもりですが、好き勝手に語りまくっているので畳みます。
長いようであっという間のようで長かった館シリーズ7作目です。
文庫で4冊という超ページ数、『人形館』を連想させるような「私」という語り手のしつこいくらいの内面描写、オカルト趣味、人魚から吸血鬼にヴィネツィアまで広げに広げまくった話題、相変わらずこちらを騙してくれる叙述トリック、そして第五部ラストのあの衝撃によってシリーズ第一作目の『十角館』を読み返さずにはいられなくなる。これぞ大作、そして名作です。
単発として出されていたらあるいはいろいろいちゃもんなど付けたくなっていたかもしれませんが、これまでの館シリーズを総決算し、全ての根幹を成すような位置づけにあるものですから、少々の不備なんて問題になりません。ここまで読んできたものには相当の感慨があるのです。読了後のカタストロフィと寂寥感はここ最近で一番でした。まさに終わりであり始まりの物語ですね。
以下、特にネタバレはしていないつもりですが、好き勝手に語りまくっているので畳みます。
暗黒館の主人公は、暗黒館の現当主の息子・浦登玄児と玄児に暗黒館に招かれた中也こと「私」。
中也は本当に中也という名前なのかと思っていたら、まさに詩人・中原中也に似ているから「中也」って呼ばれていると…。なんだそれ!あげくにことあるごとに中原中也の詩の引用があります。中也ここまで前面に押し出してくる必要があるのか?けれどこういうのは嫌いじゃないです。引用してくる詩もなかなかお話の内容と符号するものだったので、そんなに無理やり感はなかったですけれど。でも別に暗黒館の何かが中也とストーリー的にも叙述的にも深く関わっていたりすることはなかった。なんで中也よ!
玄児くんは黒シャツに黒カーディガン黒スラックスという暗黒館おあつらえ向きの衣装でしたがだいたい予想通りでした。そうなんだろうなあと思っていたのは、どこかでそういう感想かイラストなどを見たせいなのか定かではないです。
文庫第一巻で「この座敷牢に閉じ込められていたのは僕だ~云々」を非常にもったいぶった感じで中也に囁き出したあたりが一番むかつきました。余裕ぶっていて何を言うにも含みをもたせて相手を翻弄するタイプです。腹が立ちますね。でも中也を自分の一族に引き込もうとする様子が必死であったり、四巻で自らの真実を知った際の取り乱しようなんかが割りと好感が持てたので、「なんかかっこいいけどむかつくキャラ」で終わらずに済みました。
そこにくると中也より玄児の方が好きかなあと思います。
中也は最後の最後がアレなので、もう一回読み返して初めて良さが分かるキャラだと思いました。まだ読み返していないので中也の印象は結構宙に浮いてます。
というか中也は、訳のわからない儀式に無理やり参加させられ、二日酔いに悩まされ、館を奔走したあげくぶったおれ、介抱すると見せかけあれこれ勝手なことをされ、それでもなぜ玄児から逃げようとしないのか不思議です。暗黒館に来てからの中也の苦労は全部玄児のせいでしょうが。そして不可避的に読者も「私」に感情移入して読んでしまうので疲れました。アヘンにやられて二日酔いでした。
それから下の記事にも描きましたが、暗黒館の住人として出てくる人物が尽く何かしら異常のあるようなひとたちばかりで趣味が悪い…とまではいかなくてももういいんじゃないかと思いました。まともなの玄児と征順くらいじゃないですかー。
でも、暗黒館のおどろおどろしい雰囲気と文章によって、なんとなくそういう人たちもしっくり物語に馴染んでしまってたってところもあります。途中で冷静になって考えてみて、変な人たちばっかだなあと。
シャム双生児の美鳥と美魚ちゃんは、カワイイんですけど、中也と玄児の話の間に割って入って(物語的に)大事な説明が後回しになってしまったり、悪心でふらついてる中也をひっぱってお話しようとしたり多いにストーリーをかき回してくれる人たちでした。この二人の結末(文庫三巻ラスト)は驚いたなあ。これだけどこまでも舞台を整えておいてこういうところを外すか!という感じで。
それと、大筋の脇で動く、単身暗黒館に乗り込んできた少年・市朗くんパート。これもなかなかな割合で物語の雰囲気というか流れをぶった切ってくれていたような気がします。
肝心のミステリ部分ですが、第一の殺人と第二の殺人の共通点は何か?双方ともに犯行が可能だったのは館にいる人物のうち誰か?という玄児と中也の推理ディスカッションはとても面白かったです。理詰めであれこれ説明・分析していくあたりが本格っぽかったですね。一巻二巻とひたすらオカルト攻撃をされていたので、余計にこういう論理的な話がすっと頭に入ってきました。
読者をあっと言わせるトリックはやっぱり「アレ」なんでしょうけれど、確かにあっと言わされましたが、『黒猫館』と同様の肩透かしをくらった感じで…。誰かが「推理しようがない」と感想で言っていましたが本当にね!しかしネタばらされてみるとしっかり伏線は貼ってあるというのが憎いところ。シリーズを通して叙述トリックというのは分かっているのだから、勢い込んで読めばもしかしたら解けたのかもしれないですね。でも暗黒館のこの分量と胃もたれ気味の内容の濃さを飲み込んだうえで、叙述にまで神経を巡らせることが出来る猛者がいるとは思えません。やっぱり無理です。
もうひとつあっと言わされたのは上記した通り第五部のラストですね。とにかく暗黒館を読み進めるうちに当然疑問になっていたことではありましたが。なんかものすごい反則です。これ分かったひといるの?と思いました。なんで…!そんな…!なんで!!!と言いようのない怒りとハイテンションに包まれます。わたしはこの時深夜四時でした。
怒涛の真相開示が繰り広げられる三巻~四巻は一気に読めます。というか気になりすぎて寝られません。
漫画やアニメだと次までに週単位や月単位でタイムラグがありますが、小説だと衝撃の真相まであと数十ページだったりするもので、それがもう手中にあるのです。やっぱりそれが素敵なところじゃないかなあと思います。『十角館』が「たった一行が世界を変える」などという煽りで売られていますが、まさにそうですね。『暗黒館』もたった数ページであれだけの衝撃があったのはすごいです。
だらだらとこんなに書くつもりはなかった。そしてもう少し適当な感想になるはずでした。玄児がむかつくけど好きです、ということが言えれば良かったんです。本当です。
玄児と中也のちょっとお前らおかしいんじゃないのっていうシーンはいくつかありましたが、そのたびに萌えて悶えたことは言うまでもありません。ただ全体が壮大すぎて読み終わったころには忘れてるんです。
叙述トリックは通常運転、ミステリは堅実、雰囲気は想像以上にオカルト、そして読後の余韻はとても良いものがあります。一年の終わりにこれを読めてよかったです。
後々に玄児とか中也とか落書きしたいです。
中也は本当に中也という名前なのかと思っていたら、まさに詩人・中原中也に似ているから「中也」って呼ばれていると…。なんだそれ!あげくにことあるごとに中原中也の詩の引用があります。中也ここまで前面に押し出してくる必要があるのか?けれどこういうのは嫌いじゃないです。引用してくる詩もなかなかお話の内容と符号するものだったので、そんなに無理やり感はなかったですけれど。でも別に暗黒館の何かが中也とストーリー的にも叙述的にも深く関わっていたりすることはなかった。なんで中也よ!
玄児くんは黒シャツに黒カーディガン黒スラックスという暗黒館おあつらえ向きの衣装でしたがだいたい予想通りでした。そうなんだろうなあと思っていたのは、どこかでそういう感想かイラストなどを見たせいなのか定かではないです。
文庫第一巻で「この座敷牢に閉じ込められていたのは僕だ~云々」を非常にもったいぶった感じで中也に囁き出したあたりが一番むかつきました。余裕ぶっていて何を言うにも含みをもたせて相手を翻弄するタイプです。腹が立ちますね。でも中也を自分の一族に引き込もうとする様子が必死であったり、四巻で自らの真実を知った際の取り乱しようなんかが割りと好感が持てたので、「なんかかっこいいけどむかつくキャラ」で終わらずに済みました。
そこにくると中也より玄児の方が好きかなあと思います。
中也は最後の最後がアレなので、もう一回読み返して初めて良さが分かるキャラだと思いました。まだ読み返していないので中也の印象は結構宙に浮いてます。
というか中也は、訳のわからない儀式に無理やり参加させられ、二日酔いに悩まされ、館を奔走したあげくぶったおれ、介抱すると見せかけあれこれ勝手なことをされ、それでもなぜ玄児から逃げようとしないのか不思議です。暗黒館に来てからの中也の苦労は全部玄児のせいでしょうが。そして不可避的に読者も「私」に感情移入して読んでしまうので疲れました。アヘンにやられて二日酔いでした。
それから下の記事にも描きましたが、暗黒館の住人として出てくる人物が尽く何かしら異常のあるようなひとたちばかりで趣味が悪い…とまではいかなくてももういいんじゃないかと思いました。まともなの玄児と征順くらいじゃないですかー。
でも、暗黒館のおどろおどろしい雰囲気と文章によって、なんとなくそういう人たちもしっくり物語に馴染んでしまってたってところもあります。途中で冷静になって考えてみて、変な人たちばっかだなあと。
シャム双生児の美鳥と美魚ちゃんは、カワイイんですけど、中也と玄児の話の間に割って入って(物語的に)大事な説明が後回しになってしまったり、悪心でふらついてる中也をひっぱってお話しようとしたり多いにストーリーをかき回してくれる人たちでした。この二人の結末(文庫三巻ラスト)は驚いたなあ。これだけどこまでも舞台を整えておいてこういうところを外すか!という感じで。
それと、大筋の脇で動く、単身暗黒館に乗り込んできた少年・市朗くんパート。これもなかなかな割合で物語の雰囲気というか流れをぶった切ってくれていたような気がします。
肝心のミステリ部分ですが、第一の殺人と第二の殺人の共通点は何か?双方ともに犯行が可能だったのは館にいる人物のうち誰か?という玄児と中也の推理ディスカッションはとても面白かったです。理詰めであれこれ説明・分析していくあたりが本格っぽかったですね。一巻二巻とひたすらオカルト攻撃をされていたので、余計にこういう論理的な話がすっと頭に入ってきました。
読者をあっと言わせるトリックはやっぱり「アレ」なんでしょうけれど、確かにあっと言わされましたが、『黒猫館』と同様の肩透かしをくらった感じで…。誰かが「推理しようがない」と感想で言っていましたが本当にね!しかしネタばらされてみるとしっかり伏線は貼ってあるというのが憎いところ。シリーズを通して叙述トリックというのは分かっているのだから、勢い込んで読めばもしかしたら解けたのかもしれないですね。でも暗黒館のこの分量と胃もたれ気味の内容の濃さを飲み込んだうえで、叙述にまで神経を巡らせることが出来る猛者がいるとは思えません。やっぱり無理です。
もうひとつあっと言わされたのは上記した通り第五部のラストですね。とにかく暗黒館を読み進めるうちに当然疑問になっていたことではありましたが。なんかものすごい反則です。これ分かったひといるの?と思いました。なんで…!そんな…!なんで!!!と言いようのない怒りとハイテンションに包まれます。わたしはこの時深夜四時でした。
怒涛の真相開示が繰り広げられる三巻~四巻は一気に読めます。というか気になりすぎて寝られません。
漫画やアニメだと次までに週単位や月単位でタイムラグがありますが、小説だと衝撃の真相まであと数十ページだったりするもので、それがもう手中にあるのです。やっぱりそれが素敵なところじゃないかなあと思います。『十角館』が「たった一行が世界を変える」などという煽りで売られていますが、まさにそうですね。『暗黒館』もたった数ページであれだけの衝撃があったのはすごいです。
だらだらとこんなに書くつもりはなかった。そしてもう少し適当な感想になるはずでした。玄児がむかつくけど好きです、ということが言えれば良かったんです。本当です。
玄児と中也のちょっとお前らおかしいんじゃないのっていうシーンはいくつかありましたが、そのたびに萌えて悶えたことは言うまでもありません。ただ全体が壮大すぎて読み終わったころには忘れてるんです。
叙述トリックは通常運転、ミステリは堅実、雰囲気は想像以上にオカルト、そして読後の余韻はとても良いものがあります。一年の終わりにこれを読めてよかったです。
後々に玄児とか中也とか落書きしたいです。
PR
この記事にコメントする